まだ見ぬ扉を叩き続ける
- かいづ
- 2017年6月12日
- 読了時間: 3分

東京で働くキャリアウーマン予備軍のかいづです。
私事ですが、今年ようやく一区切り?がつき、1個大きな仕事が終わりました。
年が明けてから仕事面がドドドッと忙しくなり、自分にとっては初めてのジャンルだったり急にステップアップしすぎなものに直面したりで、
右も左もわからぬまま、何を基準にどう判断していいか、どう力をかけてどう力を抜くかわからず試行錯誤で、決して毎日がワクワクハッピーではありませんでした。
走っている最中は「泣いても喚いてもやるしかないし、本番はくる」と言われ、
そうは言われてもなあ……と思っていましたが、
終わってみれば、本当に終わったのかあとちょっと拍子抜けした?実感が沸かない感じ。
(もちろん自分のなかでは大変な苦労をしたと思っています)
ただ、「今までで一番最高」その言葉を受けることができてよかった〜〜〜とホッとしております。
今は、仕事が終わってからただひたすら泥のように寝て、一旦ゼロになって頭がスッキリ。
ようやく落ち着いて「次」について考える心の余裕ができるようになってきました。
(当時は「今」に一生懸命で先を考える余裕がありませんでした)
今思うのは、「扉を叩き続けなければいけない」ということ。
今回初挑戦した未開拓の分野に関して「もっとうまくやれたはず」「次はもっとうまくやれる」と思うことがたくさんあります。
今年26歳になるので学生から見れば大人だけど、まだまだ道半ばで自分のピークはきっともっと先にあるはず。
想像し得る未来を考えて、自分のキャパと領域をどんどん広げていかなきゃ、できる自分になれないなあと思います。
また逆に、「想像し得ない未来」を考えても扉を叩き続けなければならないとも思うんですよ。
なかなか言いづらいですが、私の親の世代が、自分の価値を磨くことをやめて、昔は必要とされていたのに今は必要とされなくなってしまったシーンを見ることが、決して少なくありません。
長年勤めた会社なのに50歳を過ぎて正社員で居続けられず契約社員になったり、
定年にはまだちょっと早い40代後半〜50代のおじさんがスーパーやコンビニのレジをしていたり(しかもすごく丁寧な接客をしてくれるからこそ余計に悲しくなる)、
景気の良かった時代にガンガン仕事してキャリアを積んできた人が今じゃ「それ(得意分野)しかできないのか……」と、徐々に仕事が来にくくなっていたり。
それとは対象的に私は若さ故にいろんなことにチャレンジして、時代に則した「できること」が増えて、まだまだ未熟でも先人の諸先輩方たちよりも必要とされることがあったりね……。
それを踏まえると「自分はこれまで」と決めて時代の流れの変化や需要を無視して、変化をやめてしまうことが、とても怖いなあと思います。
働くことや他人に求められることが全てではありませんが、
変化することをやめてしまってからの余生は、25年しか生きていない私にとってはとても長い。長過ぎる……。
いつもより何かを1.15倍丁寧にやってみる・工夫を凝らしてみる、いつもの通勤通学路から違う道を選んでみる、
些細なことからでもいいから、私はまだ見ぬ扉叩き続けていきたい。
そんなことを最近考えていました。
みなさん、扉を叩き続けていますか?
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